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第14回 屋外広告
 私たちの生活に氾濫している広告。必要情報以外は、ハッキリ言ってノイズでしかない。しかし必要な音を拾うためには、そのノイズにも耳を貸すしかない。
 日頃、街なかをはじめ、のどかな田舎へ行っても目にする屋外広告。企業広告もあれば公共広告もあるが、屋外広告には規制が多く各自治体ごとにかなり細かい取り決めをしている。が、結局それらは街の景観を守るには至らず、それぞれがワガママな主張をしているだけに見えることすらある。
 テレビやラジオ、新聞に雑誌という広告媒体は、時間単位では瞬間芸に近い。それに引きかえ屋外広告はスパンが長い。店舗広告や商品広告は、私たちの商売にも関係が深いものだが、その現状は?
屋外広告の歴史
 屋外広告の歴史をひもとくと、8世紀にまでさかのぼる。屋外で人目を引くものとして、日本では古くから暖簾、幟、堤燈、看板などが使われてきたが、8世紀半ば頃に盛んになた市で、店ごとに標札をあげることが定められたことが看板のはじまりとされる。
 現代も、繁華街では建築物には必ずそこにある店や会社の『名札』が付いているが、これらのネオンサインは、位置を示し商売を確認させる最も有効な手法なのである。
 屋外看板には、このほかに懸垂幕や電柱広告、野立て看板(ロードサイン)、ビルボード、ポスターボード、LEDボードに大型映像表示ボードなどがある。余談だが発光ダイオードによりネオン看板は飛躍的にキレイに且つランニングコストが廉価になったらしい。

広告料金
 新聞や雑誌でも、ローカルものと全国ネットものには価格体系に大きな開きがあるように、屋外看板もエリアネタにしか使えないロケーションのものと、人口密度が高く不特定多数の人に訴求できる位置にある広告スペースとでは、その料金に大きな差がある。
 東京銀座のそれと、浜松駅前(浜松の皆さんゴメンナサイ、たとえ話です)が、サイズだけで同料金とは誰も思うまい。実際には、立地と人の通行量や車の交通量に視認性が影響する。看板を設置するのが建築物の上であれば、その建築物の評価にも左右されるはずである。そういう様々な条件から広告料金ははじき出され、売り出されるのである。自前のビルが人通りの多い路地に面していたとか、鉄道からよく見える位置であったとなると、屋上も壁面もお金を稼ぎ出すことができるのだ。
 実際、山間部で水道も完備されていない農家の田畑に、ゴルフ場の案内看板や会員権売買の看板を見ることはよくある。近くにゴルフ場ができれば、ただの田畑がお金を生み出す。そして、看板の足元で農作業をする老夫婦を見ることになるのだ。

インターフェイスとしての役割
 いろいろな形を持つ屋外看板とは、商品やサービスのインターフェイスでしかない。つまりそれをきっかけにどれほど中に入り込めるかと言う『ドア』なのだ。こういう考え方を持つとき、現代社会の、特に都市部で展開される屋外看板は、一体何を言おうとしているかと考えさせられるような奇抜なものがあることに気付く。それ自体の主張に終始している媒体である。
 もともと日本の伝統文化の暖簾や幟や堤燈は、美しく独自の魅力を持ったものであった。そこから派生した看板も、それをデザインする人たちにとっては何某かの明確な主張を見せる作品にしたいはずだ。新商品のプロモーション企画の一環にある屋外広告であれば、街角の一瞬が消費者心理にいかに響くものにできるかと考え、場所と大きさ、大きさで表現できる内容、掲載期間といった輻輳した条件を満たす作品の提案となるのだ。そこに剤する芸術性は、以外に商品価値を高めたりもするのである。

屋外広告の新境地
 屋外広告といっても、年中突っ立っただけのものや壁に張り付いただけのものではない。英国のロンドンバスや香港が英国領であった頃に見られた二階建てバスが、動く広告塔だったように、日本もようやく路線バスが交通広告の役目を担うようになった。
 以前、名古屋の地下鉄には友愛の傘という貸し出し用の傘が用意された駅があった。地元企業や団体の寄付でビニール傘を購入し、突然振り出した雨に困る乗客へ貸し出すサービスで無料である。ところが、困ったときに借りて有難い思いをしたにもかかわらず、人々は廉価な傘を戻そうとしない。そうして1本減り2本減り、傘立てだけが残った。好意を仇にする典型だ。突然の雨に困るのは誰もが経験すること。傘が帰ってこないことは前提で貸し出さなければ継続はあり得ない。その大きな度量を見せるには、万一傘は戻ってこなくても良い状況を作ればいいと考えたことがある。つまり傘は『貸す』とは言っているものの実際は『差し上げる』。この企画に賛同するには、広告費用として計上するのが企業としては受け入れやすいから、アドバタイジングパラソルと銘打った。結果、企業側は食指を動かしたが、市の交通局が前例の無いことには了解ができないと結論付けた。ただ、考えようによっては新しい屋外広告はまだまだありなのだ。


アメリカのロードサイド
 ラッキーストライクという煙草がある。古い銘柄で、19世紀初頭に金鉱を掘り当てたときの合言葉ともいわれ米兵の好みの一品だ。この『ラッキーストライク』の看板が、アメリカの果てしなく続く道路の脇に何気なく立っている。禁煙が進み、喫煙を助長するような看板に目くじらを立てる団体もいるだろうが、すでにこれはアートの域なのだ。屋外看板も自我を主張するだけの看板でなく、癒し、ノイズにならない情報として我々の身近で役に立って欲しいものである。
 テレビのコマーシャルが見たくないのでテレビを観ないという人が居る。コマーシャルが秀逸だと誰もが感心した時代はすでに終わった。雑音と目を疲れさせる広告媒体は、逆効果にしかならない。これは、良かれと思って継続していることが、好まれない状況になり取り残されてもなお気付かないで継続していることと言えないか。
 なんとなれば、新機軸の路線バスのボディペイントが必ずしも広告効果を醸していると思えない昨今であるのだから。
広報室 近藤 由紀子