差別化をまじめに考えてみよう

洗車販促スペシャリスト、GRIT!からの記事です。

SS業界において今年は「セルフ元年」としてのスタートを切ったといえよう。ますます激化する競争の中で生き残り、勝ち残りのキーワードは「差別化」である。今月はこの差別化を軸に洗車販促を捉えてみたい。


ブランドだけで、モノは売れない。差別化を果たせたモノこそ「買い」になる。

地すべりするように、不況に陥ったアメリカ経済や、コンピュータ業界のニュースが取りざたされる中、IT革命は、あたかも失敗に終わったかのような風潮のある昨今であるが、現実は違う。
ITという名のもとに過大な製品投入や、ビジョンのない拡大を図った会社・業界が、消費者に見向きされなかっただけであり、IT=インフォメーションテクノロジーを、きちっと理解し、大幅に伸びた会社は山ほどある。
ITで何を行なった会社が成功したか?既存の競合相手に、明確な差別化が、行えた企業。新しい価値観を明確に消費者に提示しえた企業。
明確=はっきり、くっきりと違うことが大切なのだ。安かろう、悪かろう的な差別化では論外だし、隣の店に比べれば・・・程度でも今の時代は効かない。
「とても良い素材、品質のフリースが50色の中から選べる」ユニクロ。
「どの街にもあって、コンビニより早くて安い」マクドナルド。
「コーヒーの飲み方に”かっこいい”感性を売り物にした」スターバックス。
今年話題をさらった会社は、既存の商品にくっきりとした、価値観を定着させたところばかりである。しかし、これらの会社でも来年はわからない。一昨年までもてはやされたソーテックや、yahoo、携帯電話販売などもあっというまに過渡期になった。なぜか?
「もっと欲しい」と消費者に思われなくなったからである。


SS洗車で比較論はやめよう。

長い長いガソリン販売の歴史の中で、「1円の格差」に左右されてきたSS業界。「客を操る楽しさ、妙味」があることは間違いない。
しかし、その微妙な差=微差で集客力が変わるガソリンと、洗車という商品は全く違う。いらなきゃ買わない商品である洗車を「試しにやってみよう」「次もやってもらおう」「もっと高いのやりたいな」と思わせるには、他店とはもちろん、ドライバーが自分で行う洗車とも明確な差別化を果たさなければ「買いたく」ならない。


気に入らない洗車したら全額返金なんて販促はどうだろう

20年近く前にアメリカから普及し始めた返金保証。開封したお菓子でも。使用した服でも。「気にいらないものは返金します」という活動は、売る側から見れば非常に勇気のいる戦術である。が、今SS業界でそんな差別化を行えば「この店は洗車に自信があるんだ」という明確な差別化になるのではないか?
そんなことして返金ばかりさせられたらどうするのか?という疑問もあるだろう。
しかし大前提として、気に入られる洗車をすればお金は払ってもらえる。他業種の例でいえば2〜3%程度しか返金例は生まれてこない。
「いい店」には「いい客」がつくのだ。
今年、快洗隊で行った、「ホワイトキーパーの水垢取り作業費だけタダ」というキャンペーンも店の中が白い車で溢れかえった現象は、目の前で体験している。
これも明確な差別化だ。名古屋の一流ホテルでもホテル業界が、バイキング全盛時代に「食べた料理の値段をお客様が決めて勝手に払ってください」という活動を行い、それ以前より集客力も客単価もアップしたという例がある。

 

不変の差別化はない

戦後、生活するために便利というキーワードで揃えてきた消費活動はすでに終わりを告げた。長期的に見れば、買い替え需要は人口の減少とともに少なくなる。
「くるま」「エアコン」「冷蔵庫」「テレビ・ビデオ」など、モノそのものは、今ほとんどの人が所有している。
これからの消費活動は価値観が非常に重要視される。そして、その価値観は常に変化し、拡大縮小を繰り返す。
もし、前述の100%返金サービスを行なって大繁盛しても、それは永遠不変には続かない。
それを取り入れ繁盛店になった店に対して消費者が思うことは「いい店なのは分かっ
たから次は何?」である。
残酷なまでに欲求が強く移ろいやすい消費者を自分の店にとどめておくのは、常に明確な差別化を行い続けることである。
年末から年明けに向けてユニクロやマクドナルドの戦術を見てみよう。
あなたが想像する以下の戦術、商品開発だけなら二社の来年の伸びは鈍る。「やられたな、こりゃ」と思えば、来年も伸びるであろう。洗車も良い意味で、消費者のウラをかくことに成功すれば、これほど妙味・粗利のある商売はない。



来年から洗車が変わる。ほんとうに変わる

来年からはいよいよSS以外の車関連業種が洗車に取り組みはじめる。ディーラーや整備工場が「洗車」を販売しはじめるのだ。
しかし、それはSS業界の洗車が圧迫されるのではなく、商品としての洗車がほんとうの意味で、市民権を得るチャンス到来という時代の幕開けである。
今、髪の毛を切るのは床屋か美容院に行く人がほとんどである。しかし、昔は軒先でバリカン片手に五分刈りなんて風景も日常茶飯事だった。洗車も、5年後には「自分で洗うなんてとんでもない」と思う時代がきても全く不思議では無い。その時代まで勝ち残られるかどうかは、「明確な差別化」ができるか否かにかかって
いる。